会場には縦位置の額に収まった
スクエアのモノクロ写真が整然と並んでいる。
サイズも大きなものではなく、
額装も細い黒縁に広めの白マット仕様。
だからなのか、そこそこ点数があるにもかかわらず
閉塞感を感じることはなく逆にゆったりとした感覚が優位となる。
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今回キュレーションを行ったのが写真家の鶴巻育子さん。
鶴巻さんが選びまとめて、岡嶋さんが仕上げ出来上がったのがこの写真展である。
そのためか岡嶋さんを感じる写真なのだが、どこか違和感のようなものがあるのだ。
それもそのはず、セレクトされた作品たちは文字通り何気なく撮られたものだった。
自分ではまず選ばない、中には撮ったことすら覚えていないものもあるという。
写真を選んだ鶴巻さんは
「印象で見せるもの。何だかわからないもの」を中心にまとめられたらしい。
思うに、気持ち(メッセージ)のないものだからこそテーマに填まったのではないだろうか。
何気ない作品だからこそ、よくわからない違和感を感じたのだろう。
ただ当然のことだが、どれも写真として見事なものであり、
そこに違和感がよい具合に作用して絶妙な不思議感をまとっている。
今回の写真展は「気分ゼロ」での作品。
私が会場にある作者の文章を解釈した一言である。
お目当てがなくて気分が下がる一歩手前、
持ち直せるかな?と気を取り直す一歩手前。
つまりはプラスでも、マイナスでもないゼロ地点である。
後で違和感の理由にひとつ思い当たった。
いつもは会場全体の空気を感じてぼんやり見ているとき、無意識に一つの作品を見つめている。
それに気がついたとき、この作品と波長が合うのかなぁなどと考える時もある。
しかし今回はどこにも目が行かないのだ。
どうしてもフワフワと目が漂ってしまう。
強いて言えば単純に明暗のある賑やかな絵柄に行く程度だ。でも見つめるには至らない。
気分ゼロであるが故に、波長のようなものもゼロであるのかもしれない。
今回の写真展で私は岡嶋作品を堪能しつつも、
何かが迷子になっているような、覚束なさも楽しむこととなった。
「ん?言葉が変じゃない?」と思った方も多いだろう。
でも、私にとってこの覚束なさこそが今回のスパイスだと言えるだろう。
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もう一つ特筆すべき見所は、プリントである。
ネガからの銀塩プリント仕上げなのだが、
ファインアート紙仕様のため紙面に凹凸がある。
これによって柔らかい仕上げとなっており、
空や雲の表情も複雑で豊かになっているように思う。
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でこぼこ、
わかるかなー(汗) |
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また、このでこぼこの紙に銀塩プリントだからだと思うのだが
キラキラとラメが入っているような仕上がりになっている。
かなり近くで見ないと確認できないようなものではあるが
表情の豊かさに一役買っているのではないだろうか。 |
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