今回の会場は、キヤノンギャラリー銀座。
私も良くおじゃましている会場のひとつである。
ひとつの広い空間には、A3ノビに統一された
スナップ写真が2段に整然と飾られている。
その所どころには、箸休めのように
ポートレート写真が配されている。
また、会場には現地の子ども達の声が流されていて
ほのぼのと楽しくなるような雰囲気を加味している。。
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文字にすると、小さめの写真いっぱいが
壁面を埋めている感じに聞こえてしまうが、
大きめの額に余白をたっぷり取ったマットの額装を使い、
そこに感じよくA3ノビが収まっている。
そのためか、会場全体が明るく見え、
また広い会場では小さく思えてしまうサイズの写真も
写真の中の彼・彼女たちと心地よい距離感で出会える。
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また、入り口では大きな
「小さなお坊さんと尼さん」が出迎えてくれる。
足早に会場に入られる方も多く、
気がつかなかった!!というコメントも
かなり多かったのでご注意を!(笑) |
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今回はお昼前に到着。
すでに数人の来場者があり、
また、それまでも
かなり賑わっていたようだった。
その後、ほぼ途切れることなく
顔見知りや目指してきた方、
または写真展巡りや
何かのついでで寄られた方など
ひっきりなしの来場者にご本人としては、
うれしい悲鳴といったところだっただろう。
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写真を撮られる方はもちろん、
ミャンマーに興味や縁のある方、
以前までの写真展を見て作者に惹かれ来られた方
いろんな方が様々なリアクションをされていくのも
実に興味深かった。
今まで同じテイストというものはなく、
常にびっくり箱・・・というよりプレゼントを開ける
あのワクワクする瞬間に似た期待感のようなものを
作者のイタズラ心でもってくすぐってくる。(笑)
今回も意表を突かれた方、和まれた方など
様々だったのではないだろうか。
また、この日はオープンなパーティもあり、
昼間にゆっくり見に来られて、
「後でまたきます!」と帰られる方や、
午後遅めに来られて、椅子に座りゆったりと
鑑賞される方なども目立っていた。
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ミャンマー・インレー湖。
ここにある村落はみな水上にある。
田畑も学校も何もかもが水の上だ。
雨期には多くの面積が水没し、乾期にはまた顔を出す。
そんな日本に住んでいると、大変な生活とも思えてしまうその村には、
すでに日本が失ってしまった、自然とともに生きるたくましさを持ち、
のびやかに過ごす屈託のない子ども達がいた。
作者は父母に聞いた、あるいは映画や写真で見た、
現実には知ることにない昭和初期の子ども達をここに垣間見たようである。
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「○○ちゃん、あーそーぼー!」友達の家の玄関前から
大きな声で遊びに誘った経験はないだろうか?
あの場所に行けば誰かと遊べる!といった
子どもの社交場を覚えてはいないだろうか?
年長も年少も一緒くたで、子ども同士のルールがあり、
自らで形成している子ども社会。
日本ではすでに見ることができないであろう風景がここにあり、
また、この風景もいつまで見ることができるのかは
たぶん、誰にもわからないことなのだろう。
そう感じた時、この村をこの子たちを記録しておこう。。。と思ったそうだ。
このような旅写真ではよくドキュメンタリーとされがちであるが、
あくまでもテーマは、この子達の普段の生活そのもの。
ご本人としては、ルポルタージュなのだそうだ。
きっと、生き生きと澄んだ目を輝かせ、やんちゃやおてんば、甘えっ子、
そんな子ども達が大人になり、親になり、やがて年老いて・・・・、
長い年月に生き証人がいなくなる頃、良き時代を証言する”ひとり”に
なってくれればという思いも作者の心のどこかにあるのかもしれない。
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今回、記録係に任命(?!笑)された、小山浩司さん。
私もそうなのだが、「人の居ない全体像」というのが撮れなかった。(^^;
小山さんはチベットを旅する人。
今回の写真展も興味津々だったのではないだろうか。
記録もパーティー終了後に全体を・・・と言っていたのだが果たして?!
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アイルランドや潮彩とはがらりと変わった今回の写真展。
それぞれに受け方は変われど、たぶん作者の繊細で優しい目を感じるということは
すべてにおいて共通することではないだろうか。
優しい眼とこだわる厳しさが、作者の作品の醍醐味なのかもしれない。
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